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大津地方裁判所 昭和31年(わ)23号 判決 1960年1月14日

被告人 妹尾一雄

明二七・二・五生 会社嘱託

主文

被告人は無罪

理由

第一、公訴事実第一の主たる訴因及び予備的訴因について、

公訴事実第一の主たる訴因は「被告人は、昭和二十七年三月三日以降大津市馬場東町十七番地所在の共栄板紙株式会社(昭和三十年九月十五日共栄製紙株式会社と社名変更)(以下単に共栄と略称する)の代表取締役であるが、同会社が昭和二十九年度源泉所得税等五十五万九百三十九円の国税滞納金について、大阪国税局より昭和三十年三月十一日大津地方法務局に工場財団として登記されていた一切の物件について、差押処分を受けて保管を命ぜられ、これを被告人において保管していたが、同年八月二十日頃、前記会社において右工場財団目録記載の物件の一つである奥村電気会社製三百馬力電動機付グラインダーマシン一台(以下単に本件グラインダーマシンと略称する)を他のグラインダーマシンと共に、擅に富田正二を介し、株式会社京都製紙所(代表取締役井川達二)に合計二百五十万円で売却して横領したものである」というのであり、予備的訴因は「被告人は、同会社が昭和二十九年度源泉所得税等五十五万九百三十九円の国税滞納金について、大阪国税局より昭和三十年三月十一日、大津地方法務局に工場財団として登記されていた一切の物件に対し、差押処分を受けたに拘らず、これが執行を免がれる目的を以て、同年八月二十日頃、前記会社において右工場財団目録記載の物件の一つである奥村電気会社製三百馬力電動機付グラインダーマシン一台を他のグラインダーマシンと共に富田正二を介し、株式会社京都製紙所(代表取締役井川達二)に合計二百五十万円で売却して引渡し、以て、右差押財産を国の不利益に処分したものである」というのである。

しかして、第五回公判調書中証人佐藤三郎、同黒田篤太郎、同内本善雄の各供述記載、第十回公判調書中証人妹尾正弘の供述記載、富田正二、井川達二、井上仙三郎の各検察官に対する各供述調書、富田正二の司法警察員に対する供述調書、法務事務官作成の株式会社登記簿謄本、法務事務官作成の工場財団登記簿謄本、大阪国税局長作成の滋賀県警察本部刑事部長宛回答書、大阪国税局長作成の大津地方検察庁次席検事宛回答書、差押調書写、法務事務官作成の工場財団目録謄本、被告人の司法警察員に対する昭和三十一年一月二十九日附及び同年二月十二日附、検察官に対する同月七日附及び同月十七日附各供述調書及び被告人の当公廷での供述を綜合すれば、被告人は共栄の代表取締役であつたが、同会社が昭和二十九年度源泉所得税等五十五万九百三十九円の国税滞納金について、大津税務署長より昭和三十年三月十一日大津地方法務局に工場財団として登記されていた一切の物件に対し、差押処分を受けたのに同年八月二十日頃右会社において右工場財団目録記載の物件の一つである本件グラインダーマシン一台を他のグラインダーマシンと共に富田正二を介し、株式会社京都製紙所に合計二百五十万円で売却して引渡したことを認めることができる。

そこで先づ、主たる訴因について、被告人が本件グラインダーマシンを収税官吏から、その保管を命ぜられてこれを保管していたかどうかについて判断するに、刑法第二百五十二条第二項にいわゆる公務所より保管を命ぜられたというためには、単に収税官吏が差押の登記又は登録を関係官庁に嘱託し、或は差押調書の謄本を滞納者に交付するだけでは足らず、特に更にその保管を命じた場合であることを要すると解する。ところで、国税徴収法第二十三条ノ三によれば不動産を差押えたときは、収税官吏は差押の登記又は登録を関係官庁に嘱託しなければならず、同法施行規則第十六条によれば、収税官吏は財産を差押えたときは差押調書を作りその謄本を滞納者に交付しなければならないことになつているが、不動産を差押えた場合、他に特に滞納者等に保管を命ずべきことについては規定がない。しかして、工場抵当法第十四条によれば、工場財団は一個の不動産と看做されるのであつて、滞納処分の関係においてもこれを不動産と看做され、右各法条が適用されるのであるから、工場財団を差押える場合も収税官吏はその差押の登記を関係官庁に嘱託し、差押調書の謄本を滞納者に交付すれば足り、更に滞納者等に保管を命じる必要はないのである。しかして、本件についてこれをみるに、前記各証拠によると、収税官吏である大津税務署長が共栄所有の工場財団を差押えるにあたり、大津地方法務局に差押の登記を嘱託し、差押調書の謄本を右会社に送達したことは認めるが、更に右会社或は被告人に工場財団の全部又は一部の保管を命じたことを認めることができず、他にこのことを認め得るに足る資料は存しない。そうだとすると、前記のように被告人が収税官吏から本件グラインダーマシンの保管を特に命ぜられたことを前提とする公訴事実第一の主たる訴因は結局犯罪の証明がないことに帰し、無罪というほかはない。

次に予備的訴因について、被告人は「執行を免がれる目的で差押財産を国の不利益に処分したものではない」と主張するので、この点について判断する。国税徴収法第三十二条第一項にいわゆる執行を免れる目的とは滞納処分の効力を失わせまたは減殺する事実の認識をいう。また国の不利益に処分したとは、財産の処分によつて滞納処分の効力を失わせ、または減殺する一切の行為をいう。従つて、財産の処分によつて、滞納処分の対象となつた租税債権の徴収が不能となるか否かは直ちには犯罪の成否に関係がないものと解する。しかしながら納税は国民に課せられた憲法上の義務であるとはいうものの国民に対し無償性の経済的負担を課し、これを収奪するものであるから、収税官吏たるものは国税の徴収にあたつては、常にその終局の目的を達成し得る範囲内で国民の福祉を最大限に尊重しなければならないのであつて、滞納処分が国税の徴収を終局の目的とする以上、収税官吏は、できる限り滞納税額に見合う財産を先づ差押え、かかる適当な財産がないときに初めて他の財産を差押えるようにつとめるべきである。もつとも滞納税額に見合う財産が仮にあつたとしても、換価困難な場合、散逸性の大なる場合或はそれを差押えることが却つて国民の福祉を侵害することが明らかな場合等差押えるのに不適当な場合に他の財産を選択することは収税官吏の自由裁量に属するのであるが、滞納税額に見合う財産が存するか否かを顧慮することなく、いきなり滞納税額を著しく超過する価額の財産を差押えることは許されず、かかる滞納処分は違法である。しかしてこのような違法な差押を受けた一個の財産の独自性及び同一性を破壊しない程度にその極小部分を相当な対価で売却し、しかもなお、その財産の残余の部分の価額が滞納税額をはるかに超過し、従つて国税の徴収という終局の目的に何らの支障を来さないことが一見明白である場合には未だ滞納処分の効力を減殺したものということができず、従つて財産を国の不利益に処分したものというべきではないと解する。そこで、本件についてこれをみるに、被告人の当公廷での供述、司法警察員に対する昭和三十一年二月十二日附、検察官に対する同月十七日附各供述調書、共栄の第六十三回決算報告書写、法務事務官作成の工場財団登記簿謄本、大阪国税局長作成の滋賀県警察本部刑事部長宛回答書、大阪国税局長作成の大津地方検察庁次席検事宛回答書、大津税務署長作成の差押調書写、第五回公判調書中証人黒田篤太郎及び同内本喜雄の各供述記載及び被告人が現に工場財団に編入されていないグラインダーマシンを本件グラインダーマシンと共に売却した事実を綜合すると、本件工場財団の差押当時の価額は約一億二千万円であり、国税徴収法第三条により国税に優先する債権は合計千五百万円であつたが、滞納税額はわずかに五十五万九百三十七円で、近く滞納を見越し得る税額を全部併せても五百九十六万五千二百五十円であつた。しかも当時共栄は本件工場財団以外に独立した、土地、建物、機械、電話加入権及び商品等を所有しており、特に本件工場財団を差押えてほしい旨の申し出でをしなかつたのであるから、収税官吏としては、これらの物件を捜索或は調査をした上、これらの物件が差押に適さないか或は滞納税額を充足しないことが判明した場合に限り、本件工場財団を差押えるべきであつたのに拘らず、かかることに思いを至さず、いきなり滞納税額の約二百倍に相当する価額の本件工場財団を差押えたのであるから本件差押は違法であること、しかも、被告人が売却処分をした本件グラインダーマシンの価額は、百万円に満たないものであり、且つ昭和二十八年頃から使用せず工場の片隅に放置されていたものであつて、一個の不動産と看做される本件工場財団の極小部分に過ぎず、これを他に売却処分しても、本件工場財団の独自性及び同一性は毫も破壊されない程のものであること、その上被告人は本件グラインダーマシンを相当の価額で売却し、しかもなお工場財団の残余の部分の価額が滞納処分の対象となつた租税債権は勿論売却当時既に納期限を徒過した税金全額を併せた額をはるかに超過し、その約二十倍の価額を有し、従つて国税の徴収という終局の目的に何らの支障をきたさないことが一見明白であることを認めることができる。従つて、以上の事実を綜合すると被告人の本件グラインダーマシンの売却処分は到底本件滞納処分の効力を減殺したものとみることができないから、財産を国の不利益に処分したものということはできない。よつて公訴事実第一の予備的訴因は罪とならないものとして、無罪といわざるをえない。

第二、公訴事実第二について、

公訴事実第二は「被告人は、昭和三十年十一月三日頃、当時右会社は約束手形の決済資金に窮し、丸紅紙業よりの入金は悉く約束手形の決済資金に充当しなければならない状態で、他よりの入金見込がなかつたが京都市中京区河原町御池京都ホテル内で、小倉義文に対し、返済の意思も見込もないのにこれあるもののように装い、「丸紅の手形が三百万円余り入り、これを現金にした上で必ず同月七日中に電信送金してお返しするから、手形を割る資金として百五十万円貸されたい」旨申向け、同人をして右期日には間違なく返済を受け得るものと誤信させ、因つて即時同所で現金百五十万円を交付させてこれを騙取したものである」というのである。被告人の当公廷での供述、司法警察員に対する昭和三十一年二月十一日附及び同月十五日附、検察官に対する同日附及び同月十七日附各供述調書、木戸重一の検察官に対する供述調書、証人小倉義文及び同家田佐太郎に対する各証人尋問調書を綜合すると、被告人は、昭和三十年十一月三日頃京都ホテル内で小倉義文に対し「丸紅の手形が三百万円余り入り、これを現金にした上で必ず同月七日中に電信送金してお返しするから、手形を割る資金として百五十万円貸されたい」旨申向けて、即時同所で同人から現金百五十万円の交付を受けたことを認めることができる。

ところで、被告人は七、八日頃に必ず返済する意思があつたし、また返済の見込みもあつたと主張する。そこで、被告人に右金員を返済する意思がなかつたかどうか、共栄の当時の経営状態では右金額を返済する見込みがなかつたかどうかについて判断する。前記各証拠及び第六回公判調書中証人佐藤三郎の供述記載、証人谷正雄に対する証人尋問調書、第九回及び第十回各公判調書中証人木戸重一の供述記載、第十回及び第十一回公判調書中証人妹尾正弘の供述記載、第十一回公判調書中証人木村智満子の供述記載、証人野口泰三、同木村智満子、同大崎新造、同松山斗一、同桑野捨治、同田原剛一、同中岡達治の当公廷での各供述、風呂繁次郎の司法警察員に対する供述調書、共栄関係綴一冊、木村智満子作成の共栄資金繰経過一覧表及び資金繰表三枚、法務事務官作成の株式会社登記簿謄本、法務事務官作成の工場財団目録謄本及び共栄の第六十三回及び第六十四回各決算報告書写を綜合すると、共栄は大正十二年十二月十四日に設立せられ、本件当時資本の額七百六十五万五百円、固定資産の額約一億五千万円であつて規模そのものは一応しつかりした会社であるが、昭和三十年三、四月頃より経済界全般の不況に伴い次第に経営不振となり同年六、七月頃から顕著に経営状態が悪化するに至り、爾後収入に比して支出が激増していつた。共栄としては、経済的基盤を固め、事業の円滑な発展を期するため、同年四月一日丸紅株式会社(以下単に丸紅と略称する)と総代理店契約を締結し、爾後共栄の製品は全部丸紅を通じて販売すると共に、工場財団を担保に丸紅より千五百万円の融資を受け、その後更に土地等を担保に三百万円の融資を受けた。しかし製品の売り値がコストを下廻る状態で、益々経営状態が悪化したので、これを挽回すべく製品の質的向上を計るため、同年九月初頃から機械の改良に着手したところ、約二週間の予定が、約一月遅れて十月二十日頃にやつと完成したので、その間生産量が半減し、その上工事費及び人件費がかさんだだめ、却つて、改造前より収入支出のバランスが大きく崩れ、資金繰りは極度に窮迫し、同年十、十一月頃は、支払手形の決済に追われ、丸紅から入る手形はこれを殆んどすべて支払手形の決済にあてなければならない状況であつた。被告人も毎日その支払いの猶予を受けるべく奔走して資金のやりくりをしていたが、同年十一月一日頃資金繰りについて考えたところ、同年十一月四日に株式会社川善(以下単に川善と略称する)に支払うべき百万円及び五十万円の、若狭木材工業株式会社(以下単に若狭木材と略称する)に支払うべき五十万円の各約束手形を支払い難い状況であつたので、右両会社に対し、「丸紅から七日に二百万円余りの手形が入るから、必ず七日に電信送金して返すから、それまで待つてもらいたい」旨申し入れたところ、結局若狭木材はこれを承諾したが、川善からはこれを拒絶されたため、前段認定のように同会社の代表取締役である小倉義文から百五十万円を借り受けることになつたこと、共栄から丸紅に対する代金の請求は丸紅の子会社である丸紅紙業株式会社(以下単に丸紅紙業と略称する)へ請求書を送り更に丸紅紙業からこれを丸紅へ送るのであるが、丸紅紙業に請求してから早くて二日遅くて十日、大抵は五日位後には丸紅から共栄へ約束手形が送られていた。ところで、被告人が小倉義文への本件借入金の返済にあてるつもりであつたと称する百七十五万八千七百二十円の受取手形は十一月五日に請求されているのであるから、本来ならば早くて七日頃に、普通ならば十日頃には入らなければならない筈であつたが、種々の事情から少し遅れて十一日の金曜日の夜入つたために右手形の割引が月曜日の十四日になつた。そのため債権者達が共栄につめかけ、被告人は資金繰を計画する時間的、精神的余裕がなくなり、十一月十五日以降不渡りを出すに至つた。その頃被告人は原料業者達に集まつて貰い共栄に原料を至急納入して協力してほしい旨依頼したが原料業者達は原料の納入を躊躇するに至り、更に同月二十一日には送電を停止せられ、業務を休止するのやむなきに至つたが、二十一日当時不渡りとなつた支払手形は合計約千万円になつていたこと、これより先、共栄は、丸紅に対する支払期日昭和三十年十一月二日の三十八万七千八百四十円、及び支払期日同月十一日の四十八万六千五百円の各支払手形について、同年十月二十四、五日頃丸紅より延期の承諾を受けていたところ、丸紅は突如前者については、同月四日、後者については同月十一日いづれも共栄に支払うべき製品の代金からこれを差引いた。また、日通に対しては従来九十日の約束手形で支払つていたところ、十一月五日支払いの二十万円、七日の二万三千三百十円、及び八日の四万千七百二十円はこれを現金で支払うことを強く要求され、現金で支払わざるを得なくなつた。また大津信用金庫に対する支払手形については同金庫より屡々延期の承諾を得ており、支払期日十一月二日の九十六万円、十一月七日の百万円と五十万円、十一月八日の五十万円についていずれも延期の承諾を得たが、同日の七十五万円についても延期の承諾を受け得るものと確信していたところ、この手形についてのみ強く支払いを迫られたため支払わざるを得なくなり、予期に反する結果となつた。更に、十一月四日丸紅から百七十六万七千円の手形が入る筈であつたのに現実に送られてきたのは百七十万円の手形であつたこと、即ち、十一月四日以後十一日までの間に合計約二百万円について予想が狂つてきたこと、共栄は機械改造後製品の質も向上して業界の好評を得、コストを割らずに売却することができていたし、秋に向い紙の需要が多くなりつつあつた。しかも経済界一般の景気は回復に向いつつあり、昭和三十一年二、三月頃から彼のいわゆる神武景気となつたこと、昭和三十年十一月二十一日現在の在庫製品の価額は約八百十万円であること、及び被告人は少くとも十日位先までは大体の入金予想がたつたことを認めることができる。以上の事実から判断すると、共栄は、種々の事情から経営不振となり、昭和三十年十一月三日当時非常な赤字に悩んでおり、支払手形の支払いに追われて受取手形はこれを殆んど全部その支払いにあてなければならない状況にあつたことは事実であるが、だからといつて直ちに本件借入金の返済の見込みが全然なかつたものと即断することはできない。けだし、前掲資金繰経過一覧表を仔細に検討すると、被告人が本件借受金の返済にあてるつもりであつたと称する百七十五万八千七百二十円の約束手形が予想通り、十一月七日乃至十日に入り、且つ、十一月四日から十一日までの間の約二百万円の思惑違いさえ生じなかつたならば、同月八日乃至十一日には二百万円以上の余裕が生じていたのである。すなわち例えば、右手形が仮に十日に入つたとすれば、十一日にはその日に本来決済すべきであつたものをすべて決済してもなお約二百万円余の余裕があつたのであるから、これを川善及び若狭木材に返済することができ、しかもなお十四日の決済に困らなかつたであろうことが認められる。しかも前記認定のように共栄はバツクに丸紅を控え機械の改造により製品の質も向上して業界の好評を得、季節柄紙の需要も増え経済界一般の景気も回復に向い、前途に光明を見出しつつあつたのであるから、昭和三十年十一月三日当時本件借受金を同年十一月八日乃至十一日に返済し得る見込みがあつたと推認し得るのであつて、これをなかつたと断ずることはできない。

しからば、借受当時被告人に本件借受金を十一月七、八日に返済する意思があつたであろうか。

前記各証拠及び被告人作成の対川善前渡金関係振替伝票一覧表を綜合すると、右認定のように共栄は十一月三日当時本件借受金を八日乃至十一日の間に返済し得る見込みがあつたこと、被告人はなんとかして会社の業績をあげ、社運の挽回を意図していたのであつて、事業を投げ出す気持は毫もなかつたこと、だからこそ前記のように機械設備を改造したり、手形の不渡りを出さないことに腐心しており、また商品の投げ売りもしていないこと、川善及び若狭木材は共に共栄の製紙原料の買入先であつて、共栄としては製紙原料業者から原料の納入を停止されることは会社運営の死命を制せられることとなるので、川善や若狭木材等原料業者の信用を失うことは致命傷になる。従つて共栄は原料業者に対し、極めて弱腰であつたのであつて、このことは昭和三十年十月中旬頃同じく原料業者である松山斗一に対する支払期日昭和三十年十二月末日の支払手形を、支払期日を同年十一月四日と十一月九日とする二口の約束手形に書き替えることを同人から要望されてこれを承諾したこと、及び川善に対しても継続的に原料代金の前渡しをしていたことからも窺い得るところである。しかも、川善は共栄の古くからの原料仕入先であり、上質の原料のしかも最も大口の仕入先であつたので特に川善に対しては不信行為をすることができない立場にあつたこと、本件借受金は川善に対する支払期日が同年十一月四日の百万円と五十万円の二口の約束手形の決済に使用していること(もし最初から川善に対して不信行為をする意思があつたならば川善から借受けて右手形を決済することなく、初めから川善への右支払手形を不渡りにすればよいものを、それをしなかつたことは不信行為をする意思がなかつたことを推測させる)、以前にも川善から現金五十万円を借り受けたことがあるが約束の期日に返済していること、及び前記認定のように丸紅からの百七十五万八千七百二十円の手形の入手が遅れたとき共栄から妹尾正弘、大崎新造、及び被告人等が丸紅紙業大阪支店へ催促に行つたことがあることが認められ更に木戸重一の検察官に対する供述調書によれば、「申し忘れましたが川善から借りた百五十万の件について返済に充てる筈だつた丸紅の手形は十一月六日か七日頃妹尾から丸紅から入る予定だつたがとうとう入金しなかつたと云う事を事務所で聞きました。」との供述記載があること、第十一回公判調書中証人木村智満子の供述記載によれば、「木戸重一から川善へ返さなければならない金だと云うことを聞いておりました」との供述記載があること等から判断すると、被告人は本件借受当時本件借受金を昭和三十年十一月八日から同月十一日頃までの間に返済する意思があつたが、その後の事情の変化によつて返済ができなくなつたものと推認することができ、当初からその意思がなかつたものと断定することはできない。しかして、単なる消費貸借であるか詐欺罪であるかは被告人の所為が普通一般の貸借としての取引に要求される正直さと公正さを具備するか否かによつて区別しなければならない。被告人は本件借受けに際し必ず十一月七日中に返済する旨約束したのであるが、同月八日から同月十一日頃までの間に返済する意思があつたと推認されるのであつて、未だ普通一般の取引に伴う正直さと公正さとを欠くものということができない。従つて被告人の本件借受行為は詐欺罪であると断定することはできない。

もつとも、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書には本件借受金を返済する見込も意思もなかつた趣旨の供述記載があるけれども、司法警察員及び検察官に対する供述調書には既に認定した各情況に反する部分が多く、被告人に対する逮捕状及び勾留状、被告人の司法警察員に対する昭和三十一年二月十五日附供述調書及び被告人の当公廷での供述を綜合すると被告人は警察及び検察庁での取調べの間身柄を拘束されていたこと及び少くとも最初及び中途でこの点を否認したことが認められるし、相当強度の誘導尋問或はその影響が基礎となつて供述調書が作成されたのではないかという疑いがあるので、右供述記載はこれをにわかに信用することができない。

他に被告人に本件借受金を期日或はそれに近接する時期に返済する見込も、その意思もなかつたことを証明するに足るだけの証拠がなく結局公訴事実第二は犯罪の証明がないことに帰し、無罪といわなければならない。

よつて、被告人は、本件各公訴事実につき、いずれも無罪であるから、刑事訴訟法第三百三十六条に従つて、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐古田英郎)

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